広報活動にはもうひとつの基本的な要素があり、それはしばしば見逃され、重要性をあまりにも低く置かれてはいますが、正しく適用された時には、他の人たちと関わる上での成功の基礎を築いてくれるものです。
人間関係という仕組みに潤滑油を差すために、人類が発展させた最初の手順は、「良いマナー」でした。
この手順のことを表す他の言葉には、丁寧さ、
最も原始的な文化でさえ、高度に発展させた人間関係の
どの人種においても、「悪いマナー」は咎(とが)められるものです。
「悪いマナー」の人は拒絶されます。
ですから、広報活動における第一の技術は「マナー」だったのです。
したがって、広報活動のテクニックを用いようとする人やチームが、接触する人々によって「良いマナー」として受け入れられているものを練習せず、それに熟練していない場合は、失敗するでしょう。 そうした広報活動担当の人やチームは、高度なPRの技術をすべて知っているかもしれませんが、それでも「悪いマナー」という理由だけで無残にも失敗するのです。
「良いマナー」とは、次のように要約されます。
(a)他の人に重要性を与えること。また、
(b)2方向のコミュニケーション・サイクルを使うこと。
人々に対処する際、2方向のコミュニケーション・サイクルなしには、自分の考えを理解させ、いくらかでも受け入れてもらうことは不可能です。
「サイクル」とは、始まりと終わりのある一定の時間のことを意味します。 ひとつのコミュニケーション・サイクルにおいては、ひとりの人が2番目の人に向けてコミュニケーションを発し、その2番目の人がコミュニケーションを受け取って理解し、
その動きや儀式の手順が何であれ、そこにはふたつの要素があります。他の人に重要性を与えること。そして、2方向のコミュニケーション・サイクルを使うこと。 したがって、これらに違反する人は、気付いた時には自分自身もその企画も拒絶されている、ということになるでしょう。
傲慢(ごうまん)さと暴力は支配と統制を勝ち得るかもしれませんが、人々に受け入れられ、敬意を受けることは決してないでしょう。
精神医学者や心理学者は、その「心の技術」にもかかわらず、決して賞賛や一般的な好意を勝ち得ることはできませんでした。なぜなら、彼らは個人的には(a)信じられないほど傲慢で、(b)他の人たちを痛烈な軽蔑の目で見るからです(「人間は動物である」、「人はみな狂っている」など)。
彼らにはただ「良いマナー」がないのです。つまり彼らは(a)他の人々を重要だとは思わず、または重要であるという気持ちを他の人々に与えない、そして(b)彼らはコミュニケーション・サイクルには全く馴染みがないのです。
成功するPR
成功する広報活動はすべて、良いマナーという基礎の上に築かれています。というのは、これらは人間関係の緊張をやわらげるために開発された最初の技術だからです。
良いマナーは広報活動の技術よりもずっと広く知られ、尊重されています。 したがって、この要素が省かれると、どのような広報活動の技術も成功しないでしょう。
重役とコネをつけようとしている時に、注意を向けるに値しないとして「ただの守衛」を相手にしないのは、致命的なことになる場合があります。 その守衛の重役に話をするのは誰でしょう? この「ただの守衛」です。
約束の日時を決めてそれを守らないこと、相手が受け入れるには遅過ぎる時期に招待状を出すこと、食べ物や飲み物を勧めないこと、婦人または重要人物が入ってきた時に立ち上がらないこと、公の場で部下を
広報活動とは基本的に受け入れられることなので、悪いマナーはそれを完全に失敗させてしまいます。
広報活動の技術をうまく適用するには、マナーが良くなくてはなりません。
これは難しくありません。 人は他の人たちに対する自分の態度を検討し、それに磨きをかける必要があります。 その人たちは個人として重要ですか? 人は自分の2方向のコミュニケーション・サイクルを完璧に、それがとても自然なために全く気にならないほど完璧に保つ必要があります。
このふたつを考慮に入れれば、人は自分が関係しているグループ内で「良いマナー」と見なされている手順を成す、儀式的な行為の一部を身に付けることができます。
その上で、広報活動の技術が正しく使われれば、PRは成功するのです。
重要性
人々がどれだけ重要なのか、あなたには見当もついていません。 ここには比率の逆転が存在します。底辺にいる人たちは、重要なトップの人たちよりずっと自惚れが強いのです。 自分の重要性についての掃除婦の考えは、成功している総支配人のそれよりもずっと大きいのです!
人々を無視するなら、危険を覚悟しなさい。
へつらうことはあまり役に立たず、しばしば怪しまれます。というのも、それは誠実な信頼から来たものではなく、そこにある偽りは愚かな人でない限り誰にでも感じ取ることができるものだからです。
その人に敬意を示すこと、あるいはその人が目に見えていて、受け入れられているのだという確信を持たせるだけで、その人の重要性はその人にとってはっきりとわかるようになります。
誰かの存在を目にして、その人に気付いたことを示せば、その人に重要性を与えることになります。
人の名前や交友関係を知ることもまた、重要性を確立します。
自分の重要性を主張することは、結婚式に届けられた死んだ猫と同じくらい、受け入れられないものです。
人々には価値があり、その人たちは重要なのです。 大小にかかわらず、彼らは重要なのです。
それを知っていれば、あなたは良いマナーをかなり身に付けたことになります。
これによって広報活動が可能となります。
コミュニケーション
2方向のコミュニケーション・サイクルは、その内容よりも重要です。
そのコミュニケーションの内容、他の人や他の人たちへと伝えられるであろう意味は、2方向のコミュニケーション・サイクルが起こったという事実に比べると二次的なものです。
コミュニケーションは、それに返事が返されるように、あるいは使われるために存在しています。
コミュニケーション・サイクルが最初にそこにあるのです。何らかのメッセージを運ぶ前に、まずコミュニケーションが存在していなければなりません。
メッセージは
宣伝は常にこれに違反しています。 「
滑稽な例は、前置きも理由もなく、人々に数十万円の製品をその用途や価値の説明さえもしないで、買ってくださいという手紙を書いたセールスマンです。 返事はゼロ。 コミュニケーション・ラインはなし。 彼はある名前に宛てて書いていましたが、実は誰に向けても書いていなかったのです。
社会的な交わりにおいては、話し手が少しでも受け入れられるようになる前に、コミュニケーション・サイクルが確立されなくてはなりません。 そうすれば人は、メッセージを伝えることができるでしょう。
良いマナーには、2方向のコミュニケーション・サイクルが必要です。 これは、社交的な手紙や電話においてさえも真実なのです。
「パーティーを主催した女性に対して、帰る時におやすみなさいと言うこと」は、このことから来ています。
本当に良いマナーを身に付けるためには、人は2方向のコミュニケーション・サイクルを本当に理解しなければなりません。
2方向のコミュニケーション・サイクルがないと、広報活動はとてもお粗末なものになります。
儀式的な手順
もしアメリカン・インディアンの会議の儀式的な手順がとても厳密で複雑であったなら、もし他の千もの原始的な民族に詳細に至るまで正確な社会的振舞いと呼び掛け方があったのなら、現代人にも同じように良いマナーを求めることは行き過ぎではありません。
けれども私たちの時代では、「良いマナー」は、かつてほどはっきりと見て取ることはできません。 これが起きたのは、とても多くの民族と習慣が混ざり合い、それがより小さな単位の中で、かつてはしっかりと定着していた儀式的なパターンを破壊する結果となったせいです。
ですから、私たちはマナーにだらしのない時代を目の当たりにしているように思えます。
これは、マナーが悪いことへの言い訳にはなりません。
人は、次のことを守るだけで優れたマナーを身に付けることができます。
a. 人々の重要性
b. 2方向のコミュニケーション・サイクル
c. ふさわしい振舞いとして守られている地域の儀式的な行為
これらは広報活動の技術を適用している人が、まず第一に絶対に必要とするものです。
この基礎の上に、受け入れられる広報活動を存在させることができ、それがPRを成功させるのです。
PRの技術はより良い世界をつくることに役立つ |
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社会で守ることが望まれる、言語・動作の決まり。エチケット。
社会習慣として決まっている、人と接する時の適切な態度。また、そのための具体的な動作や心づかいのこと。
物腰、趣味、言葉づかいなどが品がよく、洗練されているさま。
しとやかで気品があること。
相手を敬って、礼儀正しく丁寧であること。
公式行事、宗教行事、祭礼など、一定の作法・形式で執り行われる行事。また、その作法。
(誰かに)アクノレッジメントを与えること。 用語解説にある「アクノレッジメント」も参照のこと。
低い階級の男の召使い。
ある人からもうひとりの人へコミュニケーションが運ばれるラインや道筋のこと。
架空の名前。