課題 >> 9. 「ブロー」 を読んでください。

ブロー

サイエントロジーの技術には、仕事、家族、ある場所そして領域から離れていく(突然で、完全には説明のつかない)ことに関する、実際の理由が含まれています。 このように離れてしまうことは「ブロー」と呼ばれています。

これは人間が、すべてわかっていると考えていた事柄のひとつであったため、わざわざ調査をするようなこともありませんでした。 とはいえ、他のあらゆる事柄の中でもこのことが、人に最も大きなトラブルをもたらしたのです。 人間は、自分が納得するまでそれをすっかり説明したのですが、その説明も、「去らなければならない」という気持ちによって引き起こされるトラブルの量を減らすことはありませんでした。

例えば、高い離婚率、工場での高い転職率、労働者の動揺やその他多くの物事によって、人間は気も狂わんばかりでしたが、これらはすべて、同じ源から生じているのです。つまり、突然に、または徐々に離れてゆくことです。

良い仕事を持っていて、恐らくこれ以上のものを得ることはないだろうという人が、突然そこを去る決意をして去っていってしまうという光景を目にすることがあります。 申し分のない良い夫と良い家族を持った妻が、突然そこから完全に立ち去ってしまうという光景を目にすることがあります。 かわいらしく魅力のある妻を持った夫が、親愛の情を失い、離れていくのを目にします。

人は、耐えられないようなことをされたから去らなければならなかったと言って、自分自身にその言い訳をしました。 しかし、もしこれがその理由であるならば、人が行うべきことは、労働環境や夫婦関係、仕事、研修プログラムなどをこの上なく素晴らしいものにすることだけであり、そうすればこの問題は解決するでしょう。 しかし、それとは対照的に、労働環境や夫婦関係についての綿密な調査によって、そういった環境を向上させることが、「ブロー」と呼ばれるこの現象の数をしばしば増加させるということが証明されています。 恐らく、工場労働者のために世界最高の労働環境を実現したのは、チョコレートで有名なハーシー氏でしょう。 それにもかかわらず、彼の労働者たちは反乱を起こし、彼に対して引き金を引くことさえしたのです。 その結果、「労働者はひどく扱われれば扱われるほど自分からそこに留まる」という産業哲学が導き出されましたが、それ自体、「労働者は手厚く扱われれば扱われるほど早くブローする」というのと同じくらい真実ではありません。

人々を扱う際に彼らが恥じ入ってしまうほど親切にすることはできますが、彼らは自分たちがそれに値しないということを知っているため、それによって突然のブローが引き起こされます。 また確かに、去る以外の選択がないほど人々をひどく扱うこともできるでしょう。 とはいえ、これらは極端な状況であり、大半の人々は、この中間で離れていきます。妻は結婚生活を築くために最善を尽くしていますが、夫はふしだらな女の後を追って道をそれていきます。 経営者は物事がうまく行くように努めていますが、労働者は去っていきます。 こういった説明のつかないことが、組織や人生を混乱させてしまうのですが、もうそろそろ私たちはこれを理解してもいい頃でしょう。

人々は、自分自身のオバートやウィズホールドのために去るのです。

これは正真正銘の事実であり、不変の法則です。 清らかな心を持った人は傷付けられることはありません。 絶対に、絶対に、絶対に犠牲者になってそこから離れなければならない人は、その人自身のオバートやウィズホールドのために離れていくのです。 その人が離れていくのが街からであろうと、仕事からであろうと関係ありません。 その原因は同じです。

人が、相手の人あるいはある領域に対してオバートとウィズホールドを重ねていくと(この場合は夫婦関係でですが)…

…批判的になり、その人や領域の欠点を探し始めます…

そうすることで、その人が離れてしまうこと、つまりブローが正当化されるのです。 人々は、自分自身のオバートやウィズホールドのために去るのです。

本当に望むのであれば、たとえ何が間違っていたとしても、立場に関係なくほとんど誰もが状況を正すことができます。 人がもうそれを正したいと思わない場合は、その状況に関わった他の人々に対するその人のオバート行為やウィズホールドが、それに責任を負う彼の能力を下げているのです。 ですから、その人はその状況を正しません。 見たところ、離れることが唯一の答えのようです。 ブローする人は、離れることを正当化するために、自分になされたことをつくり上げます。自分がオバートを犯した相手をおとしめることで、そのオバートを最小限にしようとしているのです。 そこにある仕組みはとても単純です。

今や私たちはこのすべての仕組みを知っているわけですから、これほどの無責任を許してしまうのは、私たちの側の無責任となります。 ある人が、街や地位、仕事、研修プログラムを去ると脅したら、なすべき唯一の親切とは、その人のオバート行為とウィズホールドを取り除くことです。 これ以外のことをすれば、おとしめられ傷付けられたという気分のままその人を送り出すことになります。

どういった些細(ささい)なオバートがその人をブローさせてしまうかについては、実に驚くべきことです。 ブローする直前のスタッフを捕まえ、組織に対する彼の最初のオバート行為を突き止めたことがあります。それは、ある犯罪者が組織について悪意を持って話している時に、組織を擁護(ようご)しなかったというものでした。 この擁護しなかったということが、それ自体に、ますます多くのオバートやウィズホールドを積み重ねていきました。それらは、メッセージを取り次がなかったり、与えられた仕事を完了しなかったりといったもので、しまいには、その人は何かつまらない物を盗むところまですっかり落ちていってしまったのです。 この盗みによって、自分は去った方がいいのだとその人は信じ込んだのです。

「人は自分に恩恵を施してくれる人を傷付けずにはいられないと気付いた時(彼はそう思い込んでいるのですが)そこを去ることによってその人を守ろうとする」というのは、人間に対するかなり高尚な評価です。 これがブローの本当の原因です。 私たちがこのことを考慮に入れて誰かの労働環境を向上させたとすれば、ただその人のオバート行為を膨らませ、その人が去るのを確かな事実にしてしまうことがわかるでしょう。 私たちが罰を与えるのであれば、恩恵を施した人の価値を少し下げ、それによってそのオバートの重要性を下げることになるかもしれません。 しかし、向上も懲罰も答えではありません。 答えはサイエントロジーにあります。そして、「私があなたから去って、自分がやっている悪いことすべてからあなたを守ることができるように、あなたが私に何かをしていると言わなければならないのです」といった妙な、わけのわからない言葉を口にすることなく、仕事や役職を引き受け、それを実行するのに十分な高さまで、サイエントロジーの手順を使ってその人の責任を引き上げることです。 そういうことなのです。私たちは今それを知っているのですから、それについて何も手を打たないのは理屈に合いません。

やましい心を抱くものに心休まる時はありません。 それを完全にクリーンにすれば、そこにはより良くなった人がいることでしょう。

科学や技能そのものに関する単なる知識をいうのではなく、技能や科学を適用する方法。 サイエントロジーにおいて「技術」という場合は、心の働きを高め、精神の潜在性を回復させるためにL. ロン ハバードが発展させた、サイエントロジーの原理を適用する手順や方法のことをさす。

「やましい心を抱くものに心休まる時はありません。」:

罪の意識を抱く人は不安のためによく眠れない。ウィリアム・シェークスピア(1564–1616年)による劇「ヘンリー四世」からの引用「頭に冠を載せる者に心休まる時はない」の変形。この引用は、王様のように大きな責任を持つ人は、絶えず不安であるために、よく眠ることができないという意味。

愛、好意、その他のあらゆる感情的な態度のこと。好意の度合い。 親愛の情の基本的な定義は、良きにせよ、悪しきにせよ、相手との距離に対する感じ方である。

「やましい心を抱くものに心休まる時はありません。」:

罪の意識を抱く人は不安のためによく眠れない。ウィリアム・シェークスピア(1564–1616年)による劇「ヘンリー四世」からの引用「頭に冠を載せる者に心休まる時はない」の変形。この引用は、王様のように大きな責任を持つ人は、絶えず不安であるために、よく眠ることができないという意味。

ミルトン・ハーシー(1857–1945年)。アメリカの実業家で慈善家。世界最大のチョコレート製造業者となった会社を創設した。 1903年、ハーシーは、ペンシルベニア州に5セントのチョコレート・バーを製造する工場を建てた。その事業は非常に大きな成功を収めたため、アメリカでは「ハーシー」がチョコレートの代名詞になった。 信頼できる労働者を絶えず拡張していくために、彼は工場の近くにひとつの町をつくり始めた。そこには商店や学校、レクリエーション施設、大型の遊園地などもあった。 1909年、彼は孤児のために職業訓練学校を建てた。 その父親的温情主義や「企業城下町」の運営は、しばしば批判の対象となった。

「やましい心を抱くものに心休まる時はありません。」:

罪の意識を抱く人は不安のためによく眠れない。ウィリアム・シェークスピア(1564–1616年)による劇「ヘンリー四世」からの引用「頭に冠を載せる者に心休まる時はない」の変形。この引用は、王様のように大きな責任を持つ人は、絶えず不安であるために、よく眠ることができないという意味。

「やましい心を抱くものに心休まる時はありません。」:

罪の意識を抱く人は不安のためによく眠れない。ウィリアム・シェークスピア(1564–1616年)による劇「ヘンリー四世」からの引用「頭に冠を載せる者に心休まる時はない」の変形。この引用は、王様のように大きな責任を持つ人は、絶えず不安であるために、よく眠ることができないという意味。

「やましい心を抱くものに心休まる時はありません。」:

罪の意識を抱く人は不安のためによく眠れない。ウィリアム・シェークスピア(1564–1616年)による劇「ヘンリー四世」からの引用「頭に冠を載せる者に心休まる時はない」の変形。この引用は、王様のように大きな責任を持つ人は、絶えず不安であるために、よく眠ることができないという意味。

「やましい心を抱くものに心休まる時はありません。」:

罪の意識を抱く人は不安のためによく眠れない。ウィリアム・シェークスピア(1564–1616年)による劇「ヘンリー四世」からの引用「頭に冠を載せる者に心休まる時はない」の変形。この引用は、王様のように大きな責任を持つ人は、絶えず不安であるために、よく眠ることができないという意味。