課題 >> 1. 「親愛の情、現実性、コミュニケーション」 の記事の「親愛の情」のセクションを読んでください。

親愛の情、現実性、コミュニケーション

サイエントロジーには、人生に対処するにあたって、極めて重要な要素が3つあります。 この3つの要素があれば、以下のような質問に答えることができます。どのように人とうまく会話できるのか? どのように人々に新しいアイデアを伝えることができるのか? どうすれば相手の考えていることがわかるのか? どうすればもっとうまく仕事を処理できるのか?

サイエントロジーでは、この3つの要素を「ARCの三角形」と呼びます。 短縮形のARC(「アーク」と発音するのではなく、「エーアールシー」と発音する)は考案された用語の中でも最も便利なもののひとつです。

ARCの三角形は3つの互いに関係する点を持っているので、三角形と呼ばれます。 まず第1の点は、親愛の情(AFFINITY)です。 第2の点は、現実性(REALITY)です。 第3の点は最も重要なもので、コミュニケーション(COMMUNICATION)です。

この3つの要素は互いに関連し合っています。 親愛の情とは「感情における反応」を意味します。 「愛情を感じること、あるいは愛情を感じないこと、生命と結び付いた感情、あるいはミスエモーション(mis-emotion)」(不合理な、または不適切な感情)を意味します。 現実性は「固い物体、人生において現実的な物事」を意味します。 コミュニケーションは「ふたつのターミナル(コミュニケーションを受け取り、中継し、送る人)の間での考えのやり取り」を意味します。 親愛の情がなければ、そこには現実性もコミュニケーションも生じません。 現実性がなければ、親愛の情もコミュニケーションも生じません。 同じくコミュニケーションがなければ、親愛の情も現実性もありません。

日々遭遇する状況の中で、ARCの三角形を適用するには、三角形を構成するそれぞれの要素と、それらの相互関係を理解する必要があります。

親愛の情とは、誰かや何かに対する好ましさの程度を示すあらゆる感情的態度のことです。

現実性とは、人々が到達する同意の度合いのことです。 固い物や、人生において現実感のあるものもそれに含まれます。

「コミュニケーション」 とは、空間を越えて考えを交換することです。

親愛の情

この三角形の最初の角は「親愛の情(affinity)」と呼ばれます。

親愛の情の基本的な定義は、良きにせよ、悪しきにせよ、相手との距離に対する考えです。 完全な親愛の情による最も基礎的な目的は、他の何かと空間を共有する能力でしょう。

「親愛の情」という言葉は、ここでは「愛、好意、またはその他のあらゆる感情的な姿勢」を意味するのに用いられています。 サイエントロジーでは、親愛の情は多くの側面を持つものと考えられています。 親愛の情とは、変わり得る特質です。 ここでは、親愛の情は「好意の度合い」という意味で使われています。

親愛の情がなければ人間ではありません。 すべての動物はある程度、親愛の情を持っていますが、人間は特に大量にそれを感じることができます。 人間が社会を組織するずっと以前、人間は、種族や一族を組織していました。 種族や一族の前には、明らかに群れがありました。 人間の、自分の同胞に求める親愛の情は長い間、認識されてきました。また、人間の他の動物の飼育法は、この親愛の情が他の種にも拡張していることを示しています。 最初に最も高い親愛の情を発達させた種族がどの惑星においても最も優れた種になると考えることができます。そしてそれはもうすでに生まれています。

子供は愛情でいっぱいです。 自分の両親や兄弟、そして遊び友だちに対してだけでなく、自分の飼い犬や飼い猫、突然やってきた野良犬に対しても親愛の情を持ちます。 しかし、さらにこれ以上の親愛の情があります。 「その木の木目(もくめ)の感じが好きです。」というように、あなたは物に対して親愛の情を感じることができます。 地球、青空、雨、水車用の貯水池、荷車の車輪、そしてウシガエルとの一体感というものが存在し、それが親愛の情なのです。

親愛の情は決して一体化(他のものと感情や興味においてひとつになること)ではありませんし、感情移入(自身が他の人になったり、その人の考えや感情を分かち合ったりする能力、またはそういったことを想像すること)といったところまで行ってしまうものでもありません。 何かに対して親愛の情を持っている時、あなたはしっかりと自分自身であり続けるだけでなく、自分が親愛の情を持っているものの本質を感じています。 あなたは自分自身でいながらにして、自分が親愛の情を持っている対象に近付くのです。 それには束縛するような性質はありません。 親愛の情が注がれる時、付帯条件などありません。 それを受け取る人に、何の義務も責任ももたらしません。 それは、純粋で、やさしく、自然なもので、太陽から日の光が発せられるのと同じように、その人から流れ出すものなのです。

親愛の情は親愛の情を生みます。 この性質で満たされている人は、自然の成り行きとして、どこであれ自分の近くにいる人々もまた親愛の情で満たされ始めることを感じるでしょう。 それは、それを受け取り、与えることができるすべての人に対する、心を静め、また温め、元気づける影響なのです。

個人やグループ間の親愛の情のレベルは、容易に観察することができます。 お互いに語り合っているふたりの人間は、お互いに親愛の情を抱(いだ)いているか、抱いていないかのどちらかです。 もし抱いていないのなら、彼らは言い争うでしょう。 もし彼らがお互いに親愛の情を抱いているなら、他のふたつの要素がそこに存在するはずです。彼らはある現実性に同意したはずで、その現実性をお互いにコミュニケートできるはずです。

そこで次の角、現実性に来ます。

サイエントロジーは、知識の研究に取り組む実践的な宗教である。その技術の適用を通じて、サイエントロジーは人生の状態に望ましい変化をもたらすことができる。 その知識と技術の体系は、30年以上の歳月を費やしてL. ロン ハバードによってまとめられた。 サイエントロジー(Scientology)という用語は、ラテン語「scio(知るという言葉の持つ最も完全な意味において知ること)」とギリシャ語の「logos(~の研究)」に由来する。 また、サイエントロジーは魂をそれ自身、宇宙、他の生命との関わりにおいて研究し、取り扱うものと定義される。

そのように見えるもの。 現実性は基本的には同意のことである。人々が到達する同意の程度である。 私たちが現実であると同意するものは現実である。

ふたりの人が空間を越えて考えをやり取りすること。

(Mis-emotion)不合理な、または不適切な感情。 英語で「mis-(間違った)」と「emotion(感情)」を合わせてつくった言葉。 その人には「ミスエモーション」があったと言う場合、その人がその実際の状況にふさわしい感情を表していなかった、という意味になる。 ミスエモーションがあるということは、不合理的だということと同義になる。 ある特定の状況において表される感情が妥当なものであるかどうかによって、どのような個人であれその合理性を公正に判断することができる。 状況において喜びと幸福がふさわしい場合に愉快で幸福な気分でいるというのは、合理的なことである。 現時点でそれ相応の理由もないのに悲嘆を見せるのは、不合理だということになる。